主役の二人は、戦争終結で別れ別れになり、北から韓国に逃れ有名な天文学者になっていた韓国人と、日本に引き揚げ成人してテレビ局(テレビ神奈川)のプロデューサーになっていた日本人。 天文学者の思いは強烈だ。41 年後の友好交流の導火線となる。日本統治下の当時、学校教育の場での朝鮮語は禁止されていた。ある時、クラスで喧嘩が始まり、少年は咄嗟に朝鮮語で「やめろ」と言ってしまい、いじめにあった。その時、日本人少年は、「朝鮮人が朝鮮語をしゃべって何が悪い」と止めにはいった。たったそれだけのことだった。 でも、天文学者は「その時、頭では日本人になろうと思っていたが体は朝鮮人だと叫んでいた。その二つに引き裂かれ、苦しかった。 そんな時、君の言葉が、僕は朝鮮人でいいんだって、勇気と誇り、自信を与えてくれた」。 天文学者は「何としても再会して、お礼を言いたい」と、2 年がかりで探し当てた。41 年ぶりの再会をきっかけに、友好交流の輪は大きく広がる。日本のプロデューサーは自らが所属する大学OBの男声合唱団のソウル公演を、天文学者の協力のもとで成功させる。当時の韓国は段階的に日本文化の開放に向っていたが、日本文化開放を韓国政府が始める前のことだった。
影视行业信息《免责声明》I 违法和不良信息举报电话:4006018900