昭和二十年の北支戦線。陽家宅の独歩大隊に、小杉曹長と軍楽隊の少年十三人、それに小杉にほれている慰安婦お春がやってきた。小杉は朔県の師団指令部で少年軍楽隊を最前線に送るのを反対して、転属を命じられたのだ。独歩大隊には、小杉の弟小原見習士官がいたが、小杉のつく直前に銃殺されていた。通称ヤキバ砦の守備隊を指揮していた小原は、八路軍の猛攻にあい、彼を除いた全員が戦死し、連絡に戻った小原は、敵前逃亡の罪で銃殺されたのだ。怒った小杉は隊長を殴りとばし、根津憲兵曹長に逮捕されてしまった。営倉には、戦うことがいやで、三年も入っているという志賀一等兵や見習士官殺しの炊事係犬山一等兵などがいた。そのころ、少年兵たちは、楽器をとりあげられ、一般兵として毎日軍歌を歌わせられていた。一方お春は、小杉の身を案じて、寝物語りに隊長に泣きこんで、小杉の命乞いをしていた。そのかいあってか、数日後小杉に出動命令が下った。少年兵を指揮してヤキバ砦を奪い返せというのだ。それからというもの、小杉の指揮のもとに、少年兵たちは猛烈な戦闘訓練に明けくれた。そして数日後、お春に送られて出発した小杉隊は、熾烈な戦闘の末、見事ヤキバ砦をとり返した。ところが、それから数日後、日本軍のトラックに乗った敵のゲリラ隊のために、砦は、また多くの犠牲をだしてしまった。小杉は、少年兵を元気づけようと、お春に少年たちの筆下しをたのんだ。これに感激した少年兵たちは今度は、敵のゲリラ隊に勇敢に立ちむかった。しかし敵の潮のような人海戦術にはいかんともしがたく小杉をはじめとするヤキバ砦の隊員は佐久間大尉の指揮する援軍をまたずに、全員うち死にした。日本軍の中で倒れた敵の少年ゲリラの手には、終戦を告げる伝単がしっかりとにぎられていた。時にして、八月十五日の朝のことであった。
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